「ChaO」の原点は19年前に作ったAmazing Nuts「たとえ君が世界中の敵になっても」

青木康浩監督作品「ChaO」は、青木監督が19年前に製作したAmazing Nuts(2006年)がそもそもの始まりだという。Amazing Nutsはレコード会社のavexとstudio4℃がタッグを組み、m-flo、倖田來未、RAM RIDER、minkと豪華なアーティストをフィーチャーして短編アニメ作品を作る、という実験的なプロジェクトであった。

3:たとえ君が世界中の敵になっても
音楽:倖田來未
監督:キャラクターデザイン:青木康浩
シナリオ:小原信治
CGI監督:川村晃弘/美術監督:新林希文

その中で青木監督は倖田來未の「たとえ君が世界中の敵になっても」を製作した。この時、青木監督はいつかこのNuts(種)で劇場長編を作りたいという漠然とした夢を持っていたという。なのでChaOの主題歌は倖田來未さんなんですね。

以下、たまたまAmazing NutsのDVDを持っていたのでそれらを見ながらChaOと比較したTweetを転載します。


※彩色設計の成毛久美子さんはChaOにも参加されてます。

そんなAmazing Nuts「たとえ君が世界中の敵になっても」が期間限定で配信中なんですよ、奥さん!

前述の「看板がボコボコに変形」「変形する雲」に加えて、「海岸とボート」「ニュースキャスター」「回転し続けるトイレットペーパー」「如意棒」などの小ネタは、ChaOを見てるとニヤリとすること請け合いです。

キャラクターデザインは青木監督自身によるものですが、立川シネマシティで行われたChaOのティーチインにて、キャラクターデザインを担当した小島大和さんが「青木さん絵が上手いんだから自分でキャラデザすればいいのに笑」って言ったら青木監督が「そう、上手いんです笑」って返したのも面白かったです。

第38回東京国際映画祭「ChaO」青木康浩監督トークショー

第38回東京国際映画祭にて上映作品「ChaO」青木康浩監督トークショーを見てきました。汚いメモ書きからの書き起こしなので若干意訳を含みますがご承知おきください。

聞き手は藤津亮太氏。はじめに、「ChaO」が台中国際アニメーション映画祭でBest Feature Film賞と観客賞のW受賞したことの報告と挨拶。

─受賞した感想をお聞かせください。

「うれしい。とにかく一安心した。」ChaOの舞台は上海ですが、製作中は上海ロケでお世話になった人たちの顔が浮かんでいたので、東アジアで賞を受賞したことで報われた気持ちになったとのこと。

─上海を舞台にしたこと。

舞台が日本だとなまじ知っている故にバイアスが掛かるのと、製作当時の中国は経済成長の波が押し寄せていて、上海には近未来的な建物がある一方で、古い街並みも残っているのが魅力だった。

人魚姫をモチーフにしたのは。

映画界では定期的に人魚姫のニーズがあるため、今までの(ディズニーのリトル・マーメイドを例に上げて)とはちょっと違った人魚姫の物語を作りたかったとのこと。

キャラデザと色彩について。

元々は青木監督がコントラスト重視するために図形を用いて丸いキャラ、細いキャラ、大きすぎるキャラ、小さすぎるキャラなどの大ラフを描いてそれをベースに小島大和さんにデザインしてもらった。
色彩は青木監督の19年前の作品「Amazing Nuts」と同じく成毛久美子さんにお願いした。ただ映画だと画面がガチャガチャしちゃうと飽きちゃうので「Amazing Nuts」の時よりは少し彩度を下げてもらった。
ChaOのキャラクターはフレーム(画面)の外にいても同じ時間を生きている(如意棒に捕まって再登場するレポーターや、ロベルタの所から帽子を運んできた鳩など)感じを出せるように心がけた。
人魚形態ChaOはきれいよりかわいい寄りに設定し、アジア系スタイリッシュな美人ということで小島さんにオファーした。(その結果、小島さんの癖が詰まった人魚形態ChaOが爆誕することになる)

青木監督の好きな香港映画の影響について。

香港映画はサービス精神に溢れていて1本見たら3本くらい見たような満足感がある。ChaOもその精神でサービスを盛りに盛っている(例:病室のシーンの顔を見せない看護婦、看護婦の背中で図面を書くロベルタ、実は最初からいたChaOなど画面の情報量が多い)。

最後にお客さんに一言。

(映画は)8割から9割分からなくて当たり前だと思っています。1回見て分からなくても、もう1回見てもらえたら気づくこともあるし、何年か後に見返して分かることもある。何回も見てもらえるような作品であって欲しいと思います。(私は今日で5回目鑑賞でした!)

青木康浩監督

押井守映画祭2025《うる星やつら 編》トークイベント

押井守映画祭ポスター

2025.7.26に池袋新文芸坐で行われた押井守映画祭2025《うる星やつら編》を見てきました。

「うる星やつら オンリーユー」「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」が2本立てで見られるのに加えて、押井守監督と諸星あたる役の古川登志夫ご両人の登壇という豪華イベント。会場でとった汚いメモ書きをテキストに起こしたのでせっかくだからエントリーとして残すことにした。箇条書きのメモなので前後の話が必ずしも繋がっているわけじゃないのと多分に意訳も含まれているのでそこはご容赦を。

 

 

・押井監督は26歳でタツノコプロ入り。当初はラッシュフィルムのカット編集要員として入職するも、演出を志望して1日で編集室から演出部に転属となり、既に放映の終わってる「一発貫太くん」の素材を使って絵コンテの描き方を練習して入社からわずか3週間で演出デビューとなる。若かったのと演出までの道のりが短かったのでよくいじめられたとのこと。その後、師匠である鳥海監督に付いてスタジオぴえろに移籍。

・当初、「オンリーユー」は別のベテラン監督で制作がスタートしていたものの、半年経って出来たのが絵コンテ2枚とゲストキャラ・エルのデザイン(高橋留美子による)とシナリオ(金春智子による)だけだった。押井監督はその状態で製作を引き継ぎ、TVシリーズと並行作業で3ヶ月か4ヶ月でオンリーユーを完成させた。

・オンリーユーにラム星に向かう宇宙船の中でラムとあたるの家族がすき焼きを囲むシーンがあるが、あれはTVシリーズと映画の地獄の同時進行で大変なところ、師匠である鳥海監督にすき焼きをごちそうになりながら「自分の作品がかわいかったらどっちも逃げるな」と檄を飛ばされたエピソードが元ネタ。

・オンリーユーはファンのための映画だったのでキャラクターをたくさん出さねばならなかった。あの4人(弁天、ラン、お雪、クラマ)の見どころを作るだけでも大変。人を笑わせるのは人を泣かせるよりとても難しい。

・映画を作るのに色んなものを犠牲にした結果、TVシリーズはボロボロになった。

・シリーズはボロボロになったが若いアニメーターたちが「あそこ(うる星やつらTVシリーズ)に行けば好きなことが出来る」と集まってきた。

・TVシリーズから引き抜いたのは演出の安濃高志さんとメカアニメーターの山下将仁さん。山下さんにはとにかくメカを描きまくってくれとメカ作監をお願いした。

・彩色の手が足りず、最後の一週間は押井監督本人もセル塗りさせられた。

・それでも足りず、片っ端から知り合いに電報を送ってセル塗りを手伝ってもらった。挙句の果てにはスタジオの前の道で通行人にセル塗りのバイトしません?とお願いしたりもした。

・若い女の子スタッフを家に帰さないで作業させてたのを撮影監督の若菜さんにこっぴどく怒られた。

・それでも当時のアニメスタジオはどこも似たような制作環境で、自分のところよりひどいスタジオがあるというのを心の支えにしていた。

・編集、監督、演出、撮影らで0号試写を見たが、演出の安農さんと二人して言葉がなかった。押井監督曰く「映画に必要な何かがない」。

・「オンリーユー」は冒頭の長回しで神映画と呼ばれていた相米慎二監督の「ションベン・ライダー」と同時上映。オンリーユーは甘いだけで中身がなんにもない。

・アニメージュにて宮崎駿監督と初対面で対談、オンリーユーはボロクソに酷評されたが自分でも思っていたことばかりなので何も言い返せなかった。宮崎監督はアニメーションは設定がいちばん大事なんだよというが、作りながら場面場面で設定作ってるんだからそもそも設定なんて存在してない。小黒「カリオストロをオマージュしてるシーンもありますよね」

・監督同士で感想をぶつけ合うと最後にはディティールの突き合いになる。アニメなんだからもっともらしい嘘はついていいが、つまらない嘘はついてはいけない。

・そういう怨念を溜め込んで出来たのがビューティフル・ドリーマー。ビューティフル・ドリーマーを作ったことで自分がやりたいようにやっていいんだと開き直れた。

・公開当時の宮崎監督のカリオストロの城は「あれはルパンじゃない」と酷評されたし、同じように自分のビューティフル・ドリーマーはうる星じゃないと思う。

・うる星やつらはラムちゃんのファンが8割だったが、ビューティフル・ドリーマーはどう見てもあたるが主役なのでラムちゃんファンから叩かれた。

・ビューティフル・ドリーマー製作に当たって、Pに「TVシリーズの時のあたるの母みたいな話は止めてね」と釘を差された。


・映画監督は被害妄想のかたまり。周りがみんな敵。トーキングヘッドはそういう経験から出来た。

・監督は作家ではない。パトの後藤さんは特車二課という現場の監督であるが、後藤さんは責任を取る。それが映画監督との違い。

・パトレイバーの時は家賃も払えないくらいお金がなかったから仕事を請けた。攻殻機動隊の時も別の作品の企画を進めていたら攻殻の企画を渡された。

・なにかの間違いでオンリーユーとビューティフルドリーマーの順番が逆になっていたらどうなっていたか。

・古川「押井監督作品では諸星あたる、篠原遊馬(機動警察パトレイバー)、四方田犬丸(御先祖様万々歳!)を演じさせてもらったけど、御先祖様万々歳が声優としては一番面白い現場だった。あの永井一郎さんが自分のアフレコとっくに終わっているのに帰らずに最後まで残って見ていったくらい面白かった。」

・↑の古川さんの声優現場エピソードを受けて、御先祖様万々歳!の現場はこんなにハッピーなのに売れなかった。現場が楽しい仕事は売れない(と寂しそうな表情)。

・(他の作品を作るにあたって)プロデューサーから「御先祖様万々歳!」みたいなのも止めてくれと言われた。キャラクターが金属バットやドライバー持って対峙したりと不穏だから。でも血縁、家の話だから(そういうのを描くのはしょうがない)ね。

・アニメのあたるはイメージが違うとクレームが多かったという話。古川「音響監督の斯波さんに喫茶店に呼び出されたときは「役を下ろされるんじゃないか」と気が気でなかった。結果的に斯波さんに「頑張れ」と言われ勇気づけられた。」

・あたるは原作だともう少し二枚目なのね。でも俺がコンテでガニ股のあたるを描いてたらそのイメージがシリーズの作画の中で定着しちゃった。ご飯の食べ方もガツガツしてて下品だし。ああなったのは俺の責任。

・サクラ先生も原作のイメージと違うとクレームが多かった。でも原作では牛一頭ペロリと平らげるような強烈な個性のキャラクターなんだから普通の声優さんじゃ無理、ということで舞台畑から鷲尾真知子さんを引っ張ってきた(実際に引っ張ってきたのは音響監督の斯波さん?)。

・押井さんはうる星キャラの中ではしのぶが好き。(よく言われるビューティフルドリーマーでアパートの一室からしのぶを見つめる男性は押井監督自身の姿ということになっている)

事前に提示されていた小黒さんの「ビューティフルドリーマーにおける友引高校の校舎の階数問題」について。

押井さんのトークイベントはちょいちょい聞いてるんですが、攻殻は「時間がなかった・・・」に終止して言葉少なめであまり細かく話したくないのがアリアリで本人的にあまり気に入ってないんだろうと思われる(結果として押井純度100%の「イノセンス」を後に作ったわけで、「うる星やつら」の時と同じ構造になっている)のだが、うる星やつらに関しては本人の若かりし頃の青春のすべてを注ぎ込んだからなのか、40年前の作品とは思えないくらい饒舌だった。基本的に本人「うる星やつら」が好きなんだなというのが伝わってくるいいトークイベントでした。