http://www.yuukimasami.com/sketchbook/index.php?id=49077555b9040ae072a5983c158b1122
ゆうきまさみ公式サイト3/11の「オタク」発明話が面白かった。
1983年までには結構タイムラグがあるな。その間俺たちはなんて呼ばれてたっけ?」という疑問がわいてきました。「マニア」だったですかね?
マニアだった気がするー。なんとかマニアじゃなくて「このマニアが!」と吐き捨てられるように言われていたような気がするなぁ。
当時OUTは読めたけど、ファンロードは読めなかったのは、俺の中でそこで線引きされていたようだ。OUTは読者ページが充実していたのでジャンプとかと一緒に意外と学校でも読めたので、マニアじゃなくてもクラスで回し読みしてた覚えがある。ファンロードは方向性がかなり内向きだったんで、俺は「マニアの雑誌」という認識を持っていた。まあ高校生くらいになるといっぱしの「マニア改オタク族」になって普通に読み出すんだけど。
より頻繁に出入りするようになった『アニメック』編集部と同じビルにはアニメショップの先駆けとなったアニメックショップが入っていて、「まんが画廊」でも見かけたことのあるセルのコレクターが出没したりしているわけですよ、はい。
初めて買った同人誌がアニメックショップで買った「すーぱーがーるかんぱにー」だったような気がする。ませたガキだ(;´Д`)
原律子の漫画で「このをたくやらう」というセリフを読んだ覚えが確かにあるのだが、どうも83年より前のやうな気がしてならない。原律子の単行本全部持ってる人いませんか。
マニアでしたね。キャラ好きはミーハーか、ロリコン、二次コンとか呼ばれていたんじゃないかな。それから、忘れてはいけないのは「根クラ」ですよ。
「マニア」の差別的上級グレードが「マニヤ」だったな。
特殊身内語かもしれないが、パソ通以前なので世界が狭くてわかりません。
主な情報交換場が劇場初日の徹夜列だった。。。
どうでも良いが二人称としての「おたく」は藤子不二雄のまんが道で既に使ってた
原律子の「このをたくやらう」あったなぁ。どの単行本だったかは覚えてないけど、85年以降だったようです。
http://members.at.infoseek.co.jp/mono_poly/hararitu.html
ミーハーとか二次コンとかはオタク内で言われてましたね。外部からだとやはりロリコン、根クラでしょうか。「明るいイデオン」が象徴的。
しかし根クラってすっかり死語になったなぁ。
オタク特有の言い回しとして「あだ名or本名+氏」ってパターンもあったなぁ。マニア氏とか。これも身内語かも知れないが。