http://d.hatena.ne.jp/strange/20070812#p1
オタク趣味のジャンルって細分化されているというか、アニメとかアイドルとかそういう大雑把なのではなく、アニメのなかでも細かく分かれているにもかかわらず、オタクとしての一体感を求めているところがある気がする。求めているというのはいいすぎかもしれないけど、同じオタクと思い込んでいる面が結構あるきがする。
ひょっとしたら、なにかのオタクならそのジャンルのことはすべて押さえておくべき、みたいな昔のオタクノリの呪縛なのかもしれないけどしりません。
昔のオタクノリというか、ここで言われている一体感というのは昔も今も同好の士の間での共通言語としてのコミュニケーションなわけで、それはオタク趣味に限らず何にでも言える事。その同じ趣味を持つ者の共通意識というのは昔は雑誌メディアが形成してきたんだけども、今はそれがネットがメインになってる。
そういやネット以前ってどういうコミュニケーションがあったかなぁ。大学などのサークル、同人誌即売会、雑誌などの読者欄、ゲーセンのコミュニケーションノート、アトラクションショー、お茶会・・・もう思いつかないや(;´Д`)なんか凄く情報交換の場が少ないように感じる!俺もコミケくらいでしかオタ全体の動向って掴めてなかったもんなぁ。雑誌も読んでなかったし。だからTVでアニメ見て、このアニメの評判ってどうなの?って思っても分からないんだよね。せいぜいオタ仲間に聞くくらいなんでその意見はかなり偏る。
今は昔と比べてほぼリアルタイムに反応を掴めるわけで、本当は個々で色々な意見があるにもかかわらず構造的にひとつの意見に乗っかりやすくなっているのが「一体感を求めている」と思われる所以ではないかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/strange/20070726#p4
らき☆すたってときどき見てるんだけども、あのアニメはパロディネタとかそういうのが面白いんだけども、ネット上のオタクのひとにはパロディネタはわりと不評なんだなあと、ごく一部のサイトの感想だけを見て思った。
アニパロなんていう言葉がありまして(´ー`)同人誌の例を出すまでもなく本来パロディに寛容なのがオタクだと思っていました。
そういうひとは、あれを萌えアニメとしてみてるから面白くないんじゃないのかなあ。おれはギャグアニメとしてみてるので面白いと思ってるのかも。
むしろ面白くないと思っている人は昔からのオタクの人が多そうなイメージ。そして萌えアニメというのは若いオタクに受け入れられやすそうなイメージ。イメージよ、あくまでも。こなたが可愛ければいいよ(´ー`)
http://d.hatena.ne.jp/strange/20070809#p2
ここで言及されているはてな匿名ダイアリーを読んでも結構年期の入ってそうな意見。
らき☆すたはアニメとは言えないのかもしれない。このアニメが視聴者に提供するのは心躍るストーリーではない。らき☆すたが提供しているのは「楽しい空間」だ。カラオケ、ボーリング、ゲームセンターなど外に出れば楽しい空間を提供するサービスはいくらでもあるが、私はテレビでこれをやっているのを見たことない。らき☆すたは世界初の「空間」を提供するアニメである。それゆえ、斬新であり、特殊であり、傑作なんだ。話題になるのも無理はない。こんなアニメは誰も見たことがないのだから。
そんなに斬新かな。じゃあ例を出せと言われても困るが、何度読んでもここはどうしても引っ掛かる。独特であるとは言えるけど、だから話題だ、傑作だという話に直結してしまっているのがどうにも薄いと思う。「楽しい空間」はらき☆すただけの話ではなく、オタクの存在している空間自体が「一体感」という名の楽しい空間を形成しているのだ。
らき☆すたを見てない俺が暴論を言うよ。オタクは積極的に作品で遊びたい。スタッフも作品に遊び心を入れたい。京アニ制作と言う事でオタクはハルヒを期待した。OPで期待は想像以上に高まった。そもそもアニメに向かない題材だったので独特なグルーヴを持つ作品になった。話題性があるのに独特な作品ってのは万人向けで無いのだからそりゃアンチも生まれるよな。グルーヴが性に合わなければ更に。
らきすたってモンティパイソンとかオースティンパワーズだと思う。
知ってればより楽しいし、知らなくてもまあ楽しめる。
一連の庵野作品とかもそうだよね。
こーゆー要素は昨今のアニメなら大抵入ってるんじゃないかな。
実写にも。小津構図とか実装時アングルとかね。
それに萌え絡ませるってまではありきたりだけど、
マルシーとってまでやったのは新しいかも知れない。
漏れの知識ではケロロくらいしか前例が思い浮かばない。
ああ、ビューティフルドリーマーのゴジラがあるけどアレは違うか。
確かにネタわからないのにあれを面白いといってる若いモンの気持ちはわからんがw
ジジイの共通言語としては結構役立ってたりする。
オタクってそもそも一般人には隠すモンだと思ってる世代なんで引用主さんとはちょっと感覚違うんだろうな。
漏れの一番の情報源はアニメ映画公開初日の徹夜行列ですたw
仲間内だけではわからない大きなベクトルが見える瞬間だった。
今までらきすたが斬新だとは全然思っていませんでした。
僕の中では あずまんが ひだまりスケッチとかと同じで
「女の子が恋愛話抜きで遊んでいるのを面白おかしく見て笑うアニメ」
という分類で。
あずまんがは帰宅部 ひだまりは美術部 らきすたはオタク部
みたいな感じです。
実際、女子高生があの人数集まって恋話がないなんてありえないのでしょうが、そこら辺はカットされているのがありがたいです
実家からこんばんわ。
>漏れの一番の情報源はアニメ映画公開初日の徹夜行列ですたw
あーそれもありますね。俺は公開初日には3回くらい並んだけども、結局仲間内と喋っていたのであまり輪が広がりませんでした。まあ喋ってなくても行列に並んでいると嘘か誠か分からないいろんな話が漏れ聞こえてくるわけでそれは面白かったですね。
>「女の子が恋愛話抜きで遊んでいるのを面白おかしく見て笑うアニメ」
という分類で
なるほど。あずまんがの時もそんな話題になってましたねそういや。
恋バナの無い世界ってのがオタクにとって「楽しい空間」であると。というかゲームさながらに視聴者も作品の中の一人のキャラクターでもあるという前提で考えると、視聴者の居場所を作ってあげることが見ている視聴者が作品で遊ぶための理想的な空間なんだろうな。なので恋バナは余計な存在なんだろう。つい先日ビューティフルドリーマーを見たんで特に。
らきすたについては空間の共有というよりも、『自分萌え』的な要素が多分にあるのではないかと思います。オタクというのは元来ディスコミュニケーション気味な集団であると同時に自己否定の傾向が強い所があって、それがオタクという集団自身にも閉鎖間を生み出しているのだと。オタクは本来どれだけアニメに萌えてもそれをどこかで否定する自分がいるんですね。それが「ハルヒ」では涼宮ハルヒというキャラクターの言動がおおいに許容されている、彼女の電波的思考回路はまさにオタクのそれであり、それが許されるという作品性が視聴者の閉じ込められていたオタク心を解き放ってくれる事で「ハルヒ」を見る視聴者はオタクである事を許容される開放感に浸れるわけです。そして、それをさらに押し進めたのが「らきすた」なのかと。「らきすた」では主人公自身が完全にオタクであり、視聴者はそこに自分のオタクとしての姿を重ね合わせてオタクである事の楽しさを再確認する、まさに『自分萌え』をするわけです。そして作品は人気になり、グッズなどはさらなる『自分萌え』のアイテムとして消費される、京アニはそういった部分をある程度意図的にやっているのではないかなと思いました。
『オタク』としての一体感といったら、『ぱにぽにだっしゅ!』を思い出す。
(ヲタの)製作者と(ヲタの)視聴者一体感は快感すらあった。
俺としてはコミックスの方の「究極超人あ~る」と似ている
気がするけどなあ。共通点は登場人物同士のコミュニケーションを
面白さの基盤としてそうな部分。
他愛もない会話がメインであり、ストーリー展開なんかで読者や
視聴者をまったく引っ張っていっていない。「日常」は上手く加工
すれば面白くなるってことで。
キャラクター配置なんかも濃い人と普通の人を取り混ぜてる部分
なんか、無理やり共通点として挙げられるかも?
で無理矢理オタクについて語ってみると。
オタクって、意外とそういう「日常」のコミュニケーション自体に
面白さを感じる傾向がある気がする。
で、コミュニケーションって過程であり結果ではないよね。
オタクっていうのは結果を求められたり、変化したりってことに
抵抗があって、過程に重き勝ちだったりするとかね。