http://www.f-children.com/news/050204kantoku.html
こないだ「映像新聞じゃネットで読めないなぁ」と書いたなかむらたかし監督のインタビューが公式サイトに掲載!
マンガに精神的深み 生きる本質掴む作品を
なかむらたかし氏は、一九八〇年代に『幻魔大戦』(りんたろう監督)や『AKIRA』(大友克洋監督)などで名を馳せたアニメーター。八七年に、OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)の短編作品集に監督として参加。その後、九五年に児童向けのアニメーション映画、〇二年には映画『パルムの樹』を手掛け、現在テレビ東京系列で放送中の『ファンタジックチルドレン』(以下、FC)で監督を務めるに至る。前述のタイトルは、いずれも原作・脚本・監督を自身で手掛けるオリジナル作品。自ら企画した物語を作り続けるなかむら監督に聞いた。
構想十年、制作期間五年を経て劇場公開された前作『パルムの樹』は、人間になりたいと願うロボットの揺れ動く感情を、丁寧に描いた長編ファンタジー。エンターテインメントに留まらず、深いテーマを追求した内容は、公開当初、大きく評価が分かれた。しかし、昨年十一月に米・サンフランシR近代美術館(MOMA)の「THE SEVENTH ART」で上映され、一月十四日からは米国での劇場公開も開始するなど、注目度は高い。そのなかむら氏が次に進めた企画が、TVシリーズの『FC』だ。一人の少女の魂を探すため、転生し続ける子供達の姿を中心に描くファンタジーで、幾重にも折り重なるストーリーが謎を呼び、目を離せない展開を見せている。制作は、『未来少年コナン』の日本アニメーション(本社=東京都多摩市、本橋浩一社長)だ。
なかむら氏には、『パルムの樹』以前から、TVシリーズを手掛けたい気持ちがあったという。元々は『パルムの樹』も、TVの企画でありながら、諸事情で劇場用となった作品だ。なかむら氏は、『未来少年コナン』などを見て、長い時間の中で物語を描くことに魅力を感じたと話す。
「長期間のTVシリーズなら、物語のディティールを膨らませることができます。また、日常の中で毎週一度、物語の世界へ入り込める媒体は、TVしかなかった。ですから、TVシリーズの作業が過酷であることは分かっていましたが、一度はTVのドラマ作りをやってみたかった」
――『FC』は完全なオリジナルストーリーですが、その発想のきっかけは。
「まず、マンガでありながらも、何か気持ちを残すような物語ができないかというところから、素材として”転生もの”を考えました。物語を作るときには、登場人物に何を背負わせるかが重要なのですが、転生ものならば、登場人物は最初から何かを抱えているわけです」
――『FC』は、説明的なセリフがほとんど無く、物語の鍵になるシーンを断片的に少しずつ見せていく構成を採っているので、謎が非常に多いですね。
「一見複雑なように演出しているだけで、話自体は非常にシンプルですよ。だから余計に、視聴者の興味を引くような演出をしているんです。まして、二十六本のTVシリーズという長期間のドラマができるのだから、余計にそういう演出をやりたくなってしまったんですね」
――セリフではなく、音楽で感情を表す演出を、多用していますね。
「アニメーションの場合、音楽で登場人物の感情を表現するのが好きなんですね。なぜ、それ程音楽に頼るのかというと、僕のような絵柄のキャラクターに、例えばいくら涙を流させても、大したものは表現できない。特に、ヘルガ(主人公)の(ような感情の起伏に乏しいキャラクターの)場合、裏側にある感情は、セリフや芝居で表現するのは無理です。また、セリフで言えない感情もありますよね。それを表現してくれるのが音楽で、そういう表現方法が好きですね」
「マンガ的な絵を精神的に深くしてくれると信じて、音楽を付けています」
――描きたいテーマは。
「主人公のセリフに、『自分の今あるこの魂は、一人だけのものじゃない』という言葉があります。転生ものの前提に、その魂を過去から引きずってきているという状況があり、そこには、今あるかけがえのない人生を懸命に生きるという意味があります。その意味は、過去を生きた人たちの思いを生かすためにも、”今”を生きるということで、それがテーマですね」
――なかむら監督は、作画力の高いアニメーターとしても有名です。初監督の映画では、両方を手掛けていましたが、今回は。
「絵を描ける監督は、カメラアングルの捉え方や芝居のさせ方など逐一全部、演出の段階で、絵に手を入れていかざるを得ないものなんです。『パルムの樹』でもそうしていましたし、『FC』もそのやり方で続けようと思っていましたが、さすがに週一のオンエアに間に合わせようとすると、どうしても限界があって。本来ならば、監督業とは、シナリオ、絵コンテ、最終的なフィルムチェックだけではなく、やはり芝居のタイミングを見なければいけない。特に、アニメーションは芝居のタイミングが大きな要素になるので、絵のスピードやセリフの間を物語に合わせていかなければいけません。それらは全てアニメーターの技量に関係するので、確認し、修正作業をするのが監督だと思いつつ、完全にやるのはなかなか難しいですね」
「週に三百カット以上必要ですが、絵を描く人たちは千差万別ですから、タイミングも含めた芝居を全部コンテ通りに直していかないと、監督の意思が全面に入ることにならないのです」
――コンテの内容を絵に全て反映するために、特に気を付けていることは。
「タイミングも含めて、極力、コンテに色々な指示を書いていくしかないですね」
「既に、絵の作業チェックを僕ができないという現実があると、ますますコンテの比重が大きくなります。コンテには、監督が何をやりたいのかが明確にされていないといけませんから、最初から描き直すことも当然あります」
――監督として手掛けているのは全てオリジナル作品ですが、こだわりがあるのですか。
「原作ものも、とてもやりたいですよ。作るならばやはり魅力を感じる作品、作りがいのある作品がいい。でも、監督をするからには、絵柄も含めて感情移入が必要で、雑誌マンガの原作でそういう作品に、なかなか巡り会わないんですよね」
「アニメーションになると、動きもあるし、声も音楽も入った舞台が作れるわけです。そうすると、そこにマッチした空気感を出したい。キャラクターがそこで息をしている空気感や、色々な風景を表現できるのが映像の力だと思っているので、あくまでもコママンガとして作られている雑誌マンガを肉感的にしていくのは、かなり大変な作業です。原作通りに絵コンテを切っても、奥行きを出すのはなかなか大変で。話とキャラクターに魅力があれば、これなら自分でもできるかなと思ったりもしますが、後の作業が大変なだけに、なかなか映像化へ足を踏み出せないんですよね。だから、物語に見合ったキャラクターを作り、話全体を転がしていくには、小説の方がいいかなと思います。イマジネーションを膨らませられるという意味でも」
――作画から監督業にシフトしていったきっかけは。
「もともと雑誌マンガが好きだったから、ストーリーを作るのは好きで、自分で絵も含めて物語を形にして表現したい気持ちは、アニメーターをやりながらもずっとありました。ただ、監督までやるようになったのは、環境と流れかな。例えば、自分が見たい作品が周りに無かったとか、少しずつこんな作品を作りたいという思いが芽生えて来たことはあるんですが、最初から積極的に監督を目指していたわけではありません」
――今後、どのような作品を作りたいと思いますか。
「『パルムの樹』で賛否が分かれ、そして今『FC』を作っていますが、作品を出していく側としては、いつも、これは絶対面白いと思って出しています。周りに無いアプローチの仕方で、とにかく核を掴みたいという思いがあって、『FC』も、エンターテインメントなアドベンチャーでありながら、生きる本質を掴むようなアニメーションを作りたいという気持ちからです。せっかく、大勢の人が関わって、お金をかけて、ドラマを作っても、何も残らないんじゃ面白くないし、それが次に繋がらないと、とてもショックですよね。作りたいものはたくさんありますよ。でも、作り手の作りたい気持ちと、作らせる側の求めるものが合わないと、難しいなと思っていまいます」
「最初は、『楽しいエンターテインメントでアクションありの冒険もの』という気分でやり始めても、そういう作品は周りに山ほどあります。無から新たな作品を生み出すのだから、周りと似ていたら意味が無いんじゃないかと次第に思うようになるわけです。きれいにまとまっているものよりも、荒削りでも、中心に何か本質を掴むようなものがある作品の方が、僕は好きです。演出家としてみると、表面上の出来事だけじゃなく、その奥で起こる何かを探る方が魅力的だと思うんですよね。せっかく、演出という人間の感情をコントロールできる立場にいるならば、生身の人間が持つ、(表面上には)見えない感情を探りたいというのが、作品を作る上で魅力的だなと思う。監督として作りたいのは、そういう方向の作品です」
「映像新聞 平成17年1月31日号 15面 ジャパン・アニメーションの旗手たち/奥山彩子」より掲出